カムの徒然なるままに

好きなものを好きなだけ

当たり前のこと

 

  長い間、書けていなかったブログ。言い訳じゃないですが、風邪を引きました。

最初は鼻水だけの症状ですんでいたのですが、日にちが経つにつれて、段々と酷くなり今では喉まで炎症を起こしています。いやー、歳をとると身体の治りが遅い遅い。その上、拗らせると以前よりも随分としんどさを感じるようになりました。

 

  こういう時に改めて思うのが、普段健康で生活出来ていることがとても有難く感じられます。普段はそんなことをちっぽけも考えずに行動している訳ですが、それが出来ない現状とても有難かったな…と。

 

  人間は失ってからその有り難さに気付くという言葉が身に染みて分かったところで、今日はこの辺で終わりにします。

信用

 

 「誰も信用出来ない」とかよく聞いた事ありませんか?さすがに誰もということはないだろうと突っ込んでしまいたくなります。

 

  それは何故かと言われたら、まずは交通面で考えて見て下さい。車なんて「前後の車は赤の信号で止まってくれる。」とその運転手を信用してるから運転出来ているようなものですよね。車でなくとも、バスや電車でも同じことが言えます。

  次に食事面でも人の手で作られた物を口には含むはずです。それは安全に食べられると信じているから口にするのですよね。

  なんて屁理屈が過ぎましたね。でも、知らず知らずに顔も知らない人間を信用して行動してる事って案外多いものなんですよ。

 

  そういえば、少し話は変わりますが、顔の見えない相手…ネット友達という言い方になりますでしょうか。そういった相手の方が人は信用や心を開きやすいそうです。理由は簡単で、もし裏切られたり、嫌いになったとしても実際に関係のある人間より、顔の見えない人間の方が失うものが少ないからです。

  そもそも人を信用出来ないのは、不安という感情からきています。自己防衛といってもいいですね。理由は様々だと思います。

 

  ここまで色々と書きましたが、人を信用出来ないというのは悪くマイナスに聞こえがちですが、大切な自己防衛でもあると思っています。誰にでも銀行口座の暗証番号教えてたりだとか、絶対に言ってはいけない事情を誰にでも話すとかただの馬鹿ですよね。

  だから、信用するラインって必要だと思います。この人にはここまでのラインだ、というのを決めておけば、少しは楽になるんじゃないかな、と。

 

  自分だけしか信用しないって生き方も否定はしません。ただね、人を信用して得られるものも失うものもあります。これを読んで少し見方が変わったなんてあれば嬉しいものですね。

恋と愛の違い

 

  誰もが一度は疑問に思う事があったのではないでしょうか。今日はこの二つの違いを私的解釈でお話したいと思います。

 

  まずは、辞典的な意味での違いを見ましょう。最初に恋について。

  1. 特定の人間に強く惹かれること。
  2. 土地・植物・季節などに思いを寄せること。

  次に、愛について。

  1. 親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。
  2. 人を愛しいと思う心。
  3. ある物事を好み、大切に思う気持ち。
  4. 個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かな心。
(以後の意味は割愛)

 

  これだけでもかなり違いが分かりますね。項目によっては類似点はあるものの、愛の方が対象の幅が広く感じる気がします。

 

  次に個人的な違いは、恋は欲望的で自己中心的に対し、愛は無償で相手の幸せを願うことかな、と。

 だからこそですかね、私は簡単に人に「愛してる」と言われたくない捻くれた人間です。その言葉を口にされた途端に、とても軽く薄っぺらく感じてしまいます。だから、ここで伝えないといけないという場面以外では、自身でも滅多に口にはしません。そもそも自身や相手の行動で愛してるか、はたまた愛されてるかどうか理解が出来ますしね。

 

  それに恋は自由だが、愛には責任が生じ、伴う気がします。愛している人間は守るべきもの対象にもなるんですよね。

 

  さてさて、偉そうな事を書きましたが、私を愛してくれる人間とは巡り会えるんでしょうかね。それでは、この辺で。

 

 

風俗業

 

  この言葉を聞くと大体の方が偏見を持ちますよね。私もそのうちの一人です。ですが、最近は昔に比べると、風俗業に対しての偏見が少なくなったように感じます。現にどこかの「将来なりたい仕事」ランキングに入っていたのを見て心底驚いたのを覚えています。

 

  風俗業に偏見こそはしていますが、世の中の必要枠だとは思っています。性犯罪が減ることも勿論ですが、何を言っても理不尽な借金を背負わされた時や、多額なお金が必要になった時に女性は命を落とさずとも、此処でお金を返せるわけです。

 

  ただ、こうして多額なお金が手に入れられるのは偏見があるからこそなんですよ。偏見があるから誰もがやりたがらない。偏見が無くなってしまえば、収入は格段に下がるでしょう。それだけ働き口が増えて、誰もがやりたがらない仕事から人の代わりがすぐにある仕事に変わってしまうからです。現に今は昔に比べると、色々と厳しくなっているみたいですね。

 

  それでも働きたい人が増えているというのは他の仕事に比べると高収入だからかと。お金は裏切らないですし、成果はお金で返ってきます。でもね、いくら偏見が少なくなったとはいえ、偏見がある事には変わりはありません。人格そのものから否定をされる事もあります。仕事を就いた後に恋人と結婚を望んでも、相手の両親から反対されたり、もしくは結婚が出来、子どもが授かるも他の親から噂が回って子どもが苛められたりなんてよくある話です。例にはあげましたが、他にも沢山のハイリスクはあります。

 

  だから、簡単にその仕事に就こうとしないで下さい。就くなら覚悟とプライドを持って「私は絶対に成功して稼いでやる」くらいの気持で望んで欲しいです。

煙草やお酒

 

  皆さんは煙草を吸われたり、お酒をよく飲む方ですか?私は肺が弱いので煙草は吸えませんし、お酒も好んでは飲まない方です。

 

  昔に比べると、煙草とお酒のパッケージにも注意書きが増えましたね。あれ物凄く違和感を感じます。吸う人にしてみれば、分かっててしているのだから今さらな注意書きですし、パッケージのデザインをとても損ねてると思うんですよね。

 

  どちらも好んではいない私ですが、他人がする分には特に何も思わないです。どちらも成人してからの使用になるので、リスクを踏まえて使用する言わば自己加害じゃないですか。そこに踏み込む権利は誰にも無いと思うんですよ。次の事が無ければ。

 

  例えば、煙草だと副流煙歩きタバコ。飲酒だと運転・酒癖ですかね。自己加害は自由にしてくれればよいのですが、マナーや自己管理が出来ない人間からは徹底的に取り上げるべきだと思います。特に歩きタバコは今すぐにでも違法にしてほしいですね。何故違法でないのか疑問なくらいです。

 

  結論的に何が言いたいかというと、

自己加害は御自由に。ただ、自己管理と使用するにあたっての責任を持って欲しいという事です。

 

  というのも、今日歩きタバコをしてた男性がもう少しで隣りを歩いていた別の親子の子どもの頬に当たりそうになったのを目の当たりにしたからなんですよね。私の友人がたまたま気付いて注意をしたから大事にはなりませんでしたが、もしあの子どもに当たっていたらと思うと…心中穏やかではいられなかったです。

 

  誰の目に触れるか分からないこのブログですが、書く事によって気を付けてくれる人間が一人でも増えてくれると嬉しいです。それでは今日この辺で。

エイプリルフール

  

  本日はエイプリルフールですね。と言っても色々規定があるようで嘘をついてもいいのは午前中だけだそうです。

 

  ところで皆さんはエイプリルフールお好きですか?私は普通といったところです。というのも、嘘をついてもいいとされているわりには嘘の内容によっては許されないものがあるじゃないですか。そもそも「嘘」自体が嫌いな人間には「エイプリルフールでした」なんて言っても嫌悪感を抱かれるだけでしょうし。だからといって、万人が笑えるような楽しい嘘をつこう!なんて難しくありませんか?

 

  これだけ聞くと何方かと言えば嫌いに聞こえますが、企業が様々な会社とコラボして行う大規模なエイプリルフール企画は大好きなんですよ毎年「これは想像してなかった」と言わざるおえない企画を思い付く企業の方々には脱帽します。

 

  結論的に言えば、エイプリルフールに参加するのは嫌いだが、エイプリルフールに参加している人間を見るのは好きという事ですね。そして、総合的には普通という訳です。いやはや、こういうのは見ているのに限りますね。では、この辺で。

 

 

  

目には目を、歯に歯を

 

  有名な言葉ですね。元はハムラビ法典の中の記述です。勿論この言葉に続きはあるのですが、長いのでここでは割愛させて頂きます。

 

  現代では「やられたらやり返してもいい」とか「復讐は許される」といった言ってしまえば過激な意味合いで使用されてるのが殆どだと思います。実は本来この法を作った意味合いとしては「必要以上の復讐をしてはならない」といった抑制の法として定められたのが「目には目を、歯に歯を」だったのです。

 

  この法に対しての意見は賛否両論あると思いますが、私個人としてはこの法は大賛成です。特に快楽殺人者・レイプ・幼児虐待といった一方的な犯罪者には一番効果があるんじゃないかな、と。かの有名なセリフを借りるのならば、法は国を守るもので、人は守ってもらえませんからね。演技でも精神異常が認められれば冤罪になる。あまりに理不尽じゃないかと。それならば同じ事をしてやればいい。…なんて過激な妄想を痛々しいニュースを見てはふと思ってしまう訳です。

 

  まぁ、実際問題は無理ですけどね!当たり前の話ですね。時効が法から無くなったように、少しずつ理不尽が無くなる法になる事を願うばかりです。本音を言うならば、犯罪係数が減る事が一番ですが…。こればかりはどうしようもないです。それでは今日はこの辺で。