カムの徒然なるままに

好きなものを好きなだけ

エイプリルフール

  

  本日はエイプリルフールですね。と言っても色々規定があるようで嘘をついてもいいのは午前中だけだそうです。

 

  ところで皆さんはエイプリルフールお好きですか?私は普通といったところです。というのも、嘘をついてもいいとされているわりには嘘の内容によっては許されないものがあるじゃないですか。そもそも「嘘」自体が嫌いな人間には「エイプリルフールでした」なんて言っても嫌悪感を抱かれるだけでしょうし。だからといって、万人が笑えるような楽しい嘘をつこう!なんて難しくありませんか?

 

  これだけ聞くと何方かと言えば嫌いに聞こえますが、企業が様々な会社とコラボして行う大規模なエイプリルフール企画は大好きなんですよ毎年「これは想像してなかった」と言わざるおえない企画を思い付く企業の方々には脱帽します。

 

  結論的に言えば、エイプリルフールに参加するのは嫌いだが、エイプリルフールに参加している人間を見るのは好きという事ですね。そして、総合的には普通という訳です。いやはや、こういうのは見ているのに限りますね。では、この辺で。

 

 

  

目には目を、歯に歯を

 

  有名な言葉ですね。元はハムラビ法典の中の記述です。勿論この言葉に続きはあるのですが、長いのでここでは割愛させて頂きます。

 

  現代では「やられたらやり返してもいい」とか「復讐は許される」といった言ってしまえば過激な意味合いで使用されてるのが殆どだと思います。実は本来この法を作った意味合いとしては「必要以上の復讐をしてはならない」といった抑制の法として定められたのが「目には目を、歯に歯を」だったのです。

 

  この法に対しての意見は賛否両論あると思いますが、私個人としてはこの法は大賛成です。特に快楽殺人者・レイプ・幼児虐待といった一方的な犯罪者には一番効果があるんじゃないかな、と。かの有名なセリフを借りるのならば、法は国を守るもので、人は守ってもらえませんからね。演技でも精神異常が認められれば冤罪になる。あまりに理不尽じゃないかと。それならば同じ事をしてやればいい。…なんて過激な妄想を痛々しいニュースを見てはふと思ってしまう訳です。

 

  まぁ、実際問題は無理ですけどね!当たり前の話ですね。時効が法から無くなったように、少しずつ理不尽が無くなる法になる事を願うばかりです。本音を言うならば、犯罪係数が減る事が一番ですが…。こればかりはどうしようもないです。それでは今日はこの辺で。

 

 

第一印象

 

  第一印象は大切。

この言葉一度は皆さん聞いた事あるのではないでしょうか。私も生きてきた中で数え切れない程に聞いてきましたが、果たして皆さん人の第一印象はどのくらいで決まるものかご存知ですか?

 

  色々諸説はありますが、何と3〜5秒の間に決まってしまうそうです。人間の脳の判断の早さには驚きですね。

  しかも、五割が見た目の情報になるそうです。本来は優しい性格をしているのに、顔つきが怖いが為に勘違いをされる。優しそうに見えて実はとんでもない性格をしていた、だとかよく聞く話ですね。

 

  だからこそ第一印象は大切だから見た目をよくしなさい…なんていう言葉をよく聞きますが、超個人的な偏見からしてみれば見た目が良い人間はそれ以下の人間に比べて、最初から第一印象に圧倒的な差があり過ぎると思ってしまうんですよね。

  例えば、その人物に会う前に「ちょっと性格に難がある」と言われ、顔を合わすと言葉を失うくらいの美人、もしくは格好いい男性だった場合、多少は仕方ないと思ってしまわないでしょうか?テレビのドッキリや検証なんかでも、顔が整っている人間が優遇されている場面が度々ありますしね。

 

  「それじゃあ、どうしろって言うんだ」ってなるんですが、私はそれ以外を全力で整えるようにしています。髪型や匂い、服装に靴、後は立ち居振る舞いをこれでもかという程、初対面の人間に会う時は気を付けています。女性の方だとこれに化粧も追加されますかね。

  差があったとしても、最初から諦めるよりか少しでも埋めれば、もしくは相手に不快を与えなければ損にはならない筈です。

 

  私もこれを機に今一度気を付けてみようかなと思います。それじゃあ、今日はこの辺で。

 

  

お気に入りのスニーカー

 

  こんばんは。いやはや疲れが溜まっているのか、お気に入りのストーカーと空目してしまいました。折角のお題があることですので、今日はこの題について話そうかと。

 

  デザインが好きなのはずば抜けてコンバースニューバランスですね。バリエーション豊富な事もさながら、どの服装でも使いこなせるデザイン性に何度救われたことやら…。一時期はコンバースのスニーカーが家に四足も靴箱に並んでた事もありました。

  だけど、個人的に履いてても疲れないのはアディダスなんですよね。飲食店のバイトをしている頃はこいつをボロボロになるまで愛用していました。

 

  うーん。結局の所、お気に入りのスニーカーが決まりそうに無い。しいていうならば、コンバースのオールスターのブラック/ホワイトですかね。ハイカットも捨て難いが、あれは足首に少し負担がかかるので…。このスニーカーは男女共に履けるデザイン性で、(超個人的意見だが)アディダスを除けば、二番目に疲れにくい靴でもある。総合的に一番お気に入りかな。皆ももし気になったのなら一度靴屋で是非手に取ってほしい。

 

  それじゃあ、今日はこの辺で。

 

どこからが浮気?

 

  そもそも浮気とは何なのか?不倫とどう違うのか。そういった所から今日は話していきたいと思う。

 

  まず、浮気。言葉の意味としては「定まった人がいながら、他の異性と関係を持ってしまうこと」そして、不倫は「男女の関係が人の道を外れること」とされています。

  一般的には浮気は未婚者、不倫は片方または両方が既婚者とされていますが、これは間違いですね。正しくは、浮気は未婚者も既婚者も含めて他の異性と関係があることで、不倫は片方または両方が既婚者で配偶者以外との関係を持つ際に用いられます。

 

  では、この二つの境界線はどうなのか?実を言うと法的な観点から言わせてもらうと浮気や不倫という言葉は用いないのだ。不貞行為、つまり肉体関係があったかどうかなのだ。そして、驚くことに不貞行為に手を繋ぐやキスは入らないのである。

 

  以上の話を聞いていると「なら、キスやハグしても問題にならないじゃん」となるが、不貞行為に入らないからといって、離婚は成立しないと言うとそうではないので注意をして欲しい。

 

  結局の所、個人がどこまで許容するかがこの質問に対しての答えになる。不貞行為をしていても許す者はいるだろうし、はたまた男女二人きりで居る事が許されない者もいるだろう。

 

  さて、ここまで読んでくれた皆に私は問いたい事がある。例えば、貴方が既婚者だとしよう。そして職場の人間、友人、またはネット関係のみの友人等、配偶者以外の人物に不覚にも配偶者以外に好意を持ってしまったとする。だが、自分には決まった相手がいると言い聞かせた貴方は心の中だけでその人を想う事を貫いた。不貞行為はおろか、必要最低限の会話しかしていない。

 

  そこで本題に戻ろう。これは浮気になるのか?

 

  私はこれを第三者に告げる事も無く、普段通りに配偶者を愛し、本人以外誰も知らないのであるのなら浮気では無いと言える。だが、第三者に話してしまった、配偶者を邪険にしてしまう等が起これば、これはもう浮気と言えるかもしれない。皆はどう考えるだろうか。

 

  

実況者は芸能人になるのか

  

 某超有名のYoutuberが炎上しましたね、はい。こういった件が起こる度に私がよく耳するのは「謝罪動画って…芸能人じゃないんだし」といった声です。その度に私は果たして実況者は芸能人と言えるのかどうかという疑問を抱いていたので、それを個人的に解釈したものを書き綴ろうと思います。

 

 そもそも芸能人とは一体何なのか。調べてみた所、芸能を職業とする人。本来「観客の前で芸を披露することをなりわいとする人々」を指すらしい。

ふむ、これだけ聞くとYoutuberや実況者も芸能人ではないのかと思えてしまう。それなのに一括りにするには違和感を感じてしまうのは何故なのだろうか。

 

 考えた結果、そもそも実況者と芸能人には大きく違いがある事に気付いた。実況者は得意分野とする物を撮影し、編集して視聴者の元に届けるクリエイターである一方、事務所や大衆によってつくられたキャラ(自分)を商品価値としているのが芸能人なのだ。

 

 だがしかし、クリエイターがあまりにも人に知られ、様々な企業を介した時はどうなるのだろう。クリエイターと商品の境界線が非常に曖昧になっている様な気がする。それが今回、某超有名Youtuberの謝罪動画に繋がってるとも言える。本来なら当人達で済ませば良い事を世間に知らせ、世間に謝るのは商品価値として傷ものにしてはならないからであろう。まぁ、今回の炎上は少しのダメージはあるものの、守られている力が大きいあの方の被害は少ないだろうな。

 

さて、話は逸れたが、これから芸能人の界隈も実況者の界隈も大きく変わり、いつしかバランスが無くなるのかもしれない。私的には新たなる実況者達が様々な活躍してもらえる世界を期待している訳だが…。

 それじゃあ、私的にも疑問に対する個人的な答えが見つかった所で、話を終わろうと思う。

 

  

おおかみこどもの雪と雨

 

 

タイトルの映画を二回ほど見た。私はこの映画は特に嫌いでもないが、特別好きという訳でもない。その理由や感想を書き綴ろうと思う。そうだ、ネタバレを含むので注意をして欲しい。

 

 

まず、背景や音楽。

無機質だとか背景が生きていない等を目にするが、個人的に好みでもあるし綺麗と単純に思った。音楽も耳につくほど不快や違和感は特に無い。ただ、ポスト宮崎駿と呼ばれるには少し物足りない気がした。あの人はぐっと世界観に入り込ませる背景と、気持ち良い程に耳に残る音楽で楽しませてくれるのだ。少し話は逸れてしまったが、結論的に背景や音楽は何の問題も無く寧ろ好みとも言える。

 

次に内容。

はっきり言って所々「ん?」と思ってしまう点がいくつもある。

まずは、花をよりリアルな母親像にしたいのは分かるが、それでは不自然ではないかという点が多すぎる所。つまり、ちぐはぐなのだ。母親の強さ、という点では満点だが、人間の弱さとしては0点である。ただでさえ、人間の子一人育てていくのが難しい育児。であるのに関わらず、花は狼と人間の混じったハーフの子ども二人を育てていく光景に一つも弱さを見せなかった。リアルに近付かせるならば、子どもに対して疲れから理不尽に泣いて怒るシーンや、疲れ果てて一人で泣き崩れるシーンが欲しかった所である。それなのに、女である母親の特徴的な男の子を特に可愛がるという描写はやけにリアルで正直な所、こっちは必要無かったと思われる。

そして、もう一つは嵐が来て雪と生徒の一人がタイミングの悪さで学校に取り残されるシーン。これはあまりにも無理がある。ランドセルが残っているにも関わらず、先生が確認しないという事はまず有り得ない。引き込まれていた視聴者も流石に「いやいやいや」となったであろう。二人きりにさせたかったのならば、ここはもう少し頭を捻って欲しかった。

次に物語全体は雪のナレーションで綴られる訳なのだが、正直これは花でよかったと言える。てっきり雪がナレーションという事は、人間の男の子と結婚して子供を産んだのか、はたまた花が亡くなったのか、なんて思いながら最後まで見ていたのだが、別段そういう訳でなく花が中学生になって終わっただけなのだ。肩透かしを食らった気分で物語が終わってしまったのが非常に残念で仕方ない。

 

色々と書いたが、個人の感想としては結論的に可もなく不可もなくといった作品という訳だ。もし、狼男が存在し人間の女と恋をして子どもを産んだら…といったif感はわりと好みではあるが、作品的にはもう少し手間が欲しいと言ったところだ。

 

さて、長々と書いてしまったが、一個人的な感情なので、ただの戯言して捉えて頂けると幸いである。